文政11年(1828)の常夜燈
県指定史跡若宮八幡古墳標柱
鳥居寄付連名碑
招魂社
古墳は、三世紀の中頃から七世紀の終わり頃にかけて造られた。地域を治めていた権力者のお墓です。東松山には、発掘調査等で発見された古墳を含め、これまでに500基以上の古墳が確認されていますが、原形をとどめている古墳はごくわずかとなっています。
児童文学者の打木村治の小説 「天の園」 の一節に、「恐怖の八幡穴」 と紹介されている若宮八幡古墳は、今から約1,450年前の六世紀後半に造られた古墳です。この古墳の素晴らしさは、ほぼ造られた当時のままの形で、石室(埋葬施設)が今日まで残っているところです。
石室は、羨道、前室、玄室の複室構造の横穴式石室です。石室に使われている石は、砂質凝灰岩で、四角に加工した石の角をL字に切り込んで組み合わせながら積む「切石切組積工法」を採り、更に両側の側壁が弧を描くよう膨らむ胴張型となっており、天井石の重みを分散させる構造になっているなど、造られた当時の土木技術の高さがうかがえます。
平成22、23年の修復保存整備に伴って行われた調査では、地表面に整地土を敷き平らに固めた後に、根石と言われる基礎になる石を設置していることや天井石が厚いかまぼこ型をした砂質凝灰岩であることが新たに判りました。
社殿の下に残っている横穴式石室
若宮八幡古墳解説
横穴式石室の内部
手水舎
墳丘上に建つ若宮八幡神社
若宮八幡神社拝殿
参道脇の庚申塔
両部鳥居の二の鳥居
鳥居に掛かる八幡神社の扁額
一面六臂の青面金剛の庚申塔2基 ・ 三猿の庚申塔 ・ 寛文13年(1673)の庚申塔