社伝によると当社は、平安時代(天徳3年・959年)に、長門国豊浦郡(現在の山口県下関市)の住吉神社の御分霊を山田長慶という人が勧請したことに始まるといわれ、祭神として住吉三神(海・航海の神)、神宮皇后、応神天皇を祀っています。
当社は、室町時代中期(永享元年・1429年)に、鎌倉公方の足利持氏によって社殿が再建されたといわれており、永享元年銘の棟札が現存しています。後に、江戸入府を果たした徳川家康からは、寺社の所領を確定させた公的文書の御朱印状を賜り、以後代々の将軍に社領を認められ、将軍家光の代には朱印高六石を賜ったといいます。
当社はかつては、北武蔵十二郡(入間・比企・高麗・秩父・男衾・加美・那賀・児玉・横見・幡羅・榛澤・埼玉)の総社であり、宮司家勝呂氏は触頭として、配下の神職をまとめており、江戸時代には、武蔵国の総社である府中市の大国魂神社の祭事に出席し、神楽を奉納した記録があります。 (中略)
境内には、本社とは別に、複数の神社が合祀されている境内社があり、合わせて17社が祀られています。道を挟んで境内の南側にある「神泉」と言われる池には中央に島があり、「市杵島比売命」を祀る厳島神社が鎮座しています。厳島神社の石祠には水の神ともいわれる「弁財天」の文字が刻まれており、かつては干ばつが続くと氏子が持ち寄り雨乞いをしたといいます。
坂戸市教育委員会
厳島神社 (弁財天)
大宮住吉神社解説
御神木のカヤ
本殿覆屋
神楽殿
17社が合祀された境内社
大宮住吉大明神の扁額の掛かる鳥居
手水舎
御神燈の建つ参道
大宮住吉神社拝殿
拝殿に掛かる北武蔵総社大宮住吉大明神の扁額
拝殿奥の大宮住吉神社本殿