三猿が刻まれた笠付庚申塔
水神神社の扁額が掛かる鳥居
水神社社殿
祭神は、速秋津彦命・速秋津姫命・応神天皇
創建の年代は明らかでない。「江戸砂子」 には、「上水開けてより関口水門の守護神なり」 とある。
わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開いた。井の頭池からの流を、目白台下の現大滝橋のあたりに、堰(大洗堰)を築き、水位を上げて上水を神田、日本橋方面に通じた。
伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」
と告げたのでここに水神を祀ったという。
上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれる。また、このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水が流れ、前には早稲田田んぼがひろがり、後には目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地であった。
(文京区教育委員会)
平成16年(2004)12月5日未明の大風(東京地方最大風速40.2m)で社殿に向い左側の銀杏の枝(直径約40㎝)が折れ、鳥居の笠木を直撃した。これにより笠木は2つに折れ、柱部分が残った状態となった。
これを憂い、水神社を崇敬する関口町会並びに関水町会の幹部が安全対応策を検討した結果、鳥居が新設されることとなり、平成17年9月吉祥日に新設再建がなされた。
銀杏の成長に伴い、階段が浮き上がり、危険な状態にあったのを関口町会が同時期に修復を行なった。倒壊した鳥居の右柱の表面に大門通り、裏面は不鮮明で読めず。左柱表面に神田、裏面は安政4年丁巳9月吉祥日建立と刻まれていた。
イチョウの大木
鳥居再建説明
水神説明