参宮記念碑

御即位記念碑

御即位記念之碑

氷川大明神石燈籠

境内社の稲荷神社

稲荷神社本殿

皇太子殿下御降誕記念碑

拝殿に掛かる氷川大明神の扁額

氷川神社拝殿

境内社の八雲神社

氷川神社石鳥居

手水舎

日露戦役紀念と刻まれた手水石

 江戸初期、 川越藩主松平信綱により開かれた野火止新田4か村のうちの一つである西堀は、野火止用水の本流に沿って南西から北東へ細長く延びる地域である。
 寛文元年(1661)9月の野火止村年貢割状によれば、野火止村は、本村(野火止宿)・菅沢村・西堀村・北野村の4か村に分けて記載されている。このうち、西堀村は同3年(1663)に松平氏の菩提寺平林寺が岩槻から野火止宿に移転すると、同5年(1665)に同寺の領として与えられ、平林寺領西堀村となった。下って化政期(1804-30)の 「風土記稿」 には西堀村を野火止宿の小名として載せ、西堀村について 「平林寺を当所に移せし後、彼寺領に寄附すと云、依って別村の如く西堀村と称し民家も40戸群居したれど、其実は別村にあらず」 と記している。
 当社は古くから西堀村の鎮守として祀られている。本村の野火止宿にある氷川神社の創建が承応年間(1652-55)と伝えることから、当社の創建はそれ以降のことである。平林寺の寺領として与えられた寛文5年には野火止村として扱われていたことから、これを余り下らない時期に村の鎮守として奉斎されていたと推測される。

氷川神社由緒