清戸道は、練馬区の東端から西橋まで延長は約15㎞、区のほぼ中央を横断している道路です。この道を東に行くと目白駅・目白坂を経て江戸川橋に達し、北西に行けば保谷・東久留米を経て清戸(清瀬市)に着きます。終点が清戸であることから清戸道の名がつきました。練馬・石神井・大泉の村々から江戸市中へ出るには、この道が最も近道でした。江戸時代に練馬の人々は、朝早く野菜をもって町に向かい、昼頃には下肥を運んで帰ってきました。その下肥を、馬の背や天秤棒で担いで運びました。 明治・大正時代には、手車が発達し、金輪のはまった車の音は、静かな夜明け前の空気を震わせていました。目白坂に車の後押しをすることを業とする人がいたのも有名な話です。清戸道は、農産物や下肥の輸送に用いられ農村経済を支える重要な道路でした。
(練馬区教育委員会)
清戸道碑
清戸道説明
四面塔稲荷神社本殿
四面塔稲荷神社覆屋
社殿改築記念碑
四面塔稲荷神社鳥居
鳥居に掛かる稲荷神社の扁額
四面塔稲荷神社拝殿
境内社の御嶽神社鳥居
境内社の御嶽神社本殿
堤稲荷神社社標
宇迦之御魂命を祭神とする社です。江戸時代のこの辺りの地名 「堤村」 から 「堤稲荷神社」 また、かつてこの付近にあった四面の題目塔(石造物)から
「四面塔稲荷」 とも呼ばれています。
「新編武蔵風土記稿」 には、「小名堤村にあり 鎮座の初詳ならず 9尺21間許の小祠 前に鳥居あり 村内圓福寺(現大乗院・西大泉5)の持」 と記されています。創建は明らかではありませんが江戸時代から地域の人々の信仰を集めていたことがわかります。
拝殿奥の覆屋内に建てられている本殿は平成9年3月 「西大泉の稲荷神社」 として練馬区有形文化財に登録されました。
棟札には元治2年(1865)銘があり、江戸時代末に建てられたことが判ります。一間社、流造り、彫刻が随所に施されています。渦巻き紋様の大さなどに当時の建築の特徴が見られます。
(練馬区教育委員会)
稲荷神社説明