文政13年(1830)の高祖日蓮大菩薩五百五十遠忌南無妙法蓮華経題目塔
日蓮大菩薩五百遠忌南無妙法蓮華経題目塔
寛延3年(1750)の南無妙法蓮華経題目塔
加藤幸太郎之碑
開山日勇聖人三百五十遠忌供養塔
子安地蔵尊
子育地蔵尊
慈女観世音菩薩・水子地蔵尊
歴代住職御廟所
本堂に掛かる了光山の扁額
本照寺本堂
本照寺山門
山門に掛かる本照寺の扁額
日蓮大聖人像
当寺は、了光山といい日蓮宗の寺です。
本山は身延山久遠寺(旧中山法華経寺)で、昔から中山の隠居寺といわれいますが、現住職の境野姓は、本寺の系図によると、田安家城代家老境野某より出ているといわれています。江戸末期から昭和初期にかけて、武士の転籍が多く、当寺もその一例であると思われます。
寺伝によると開基は、天正10年(1582)としており、本堂改築の際に、主柱の下から発見された板碑は、天正10年のもので、開基月日と近いところから、創建と何らかの関係があるのではないかといわれています。この板碑は、「日蓮題目板碑」
といわれており、練馬区内の出土板碑の中では最も新しいものの一つです。
なお、境内墓地には、慶安、萬治、元禄などの記銘の古い墓石が数多くみられます。
また、本堂は小榑村(いまの大泉)の役場として使われたこともありました。
初冬には、多くの万灯行列がくりだして大変なにぎわいとなります。
(練馬区教育委員会)
本照寺由緒