清戸道碑
庚申堂の3基の石造物
清戸道説明
左から享和3年(1803)の庚申石燈籠、宝暦11年(1761)の一面六臂の青面金剛の庚申塔、宝暦10年(1760)の六十六部廻国供養塔
清戸道は、練馬区の東端から西橋まで延長は約15㎞、区のほぼ中央を横断している道路です。この道を東に行くと目白駅を経て江戸川橋に達し、西に行けば、保谷・東久留米を経て清戸(清瀬市)に着きます。
練馬の村々から江戸に出るためには、この道を通るのが最も近道でした。江戸時代から練馬のお百姓さんは、朝早く野菜をもって町に向かい、昼頃には下肥を積んで帰ってきました。その下肥を、中農以上の百姓は馬の背で、それ以下の百姓は天秤棒で運びました。
明治、大正時代には、手車が発達し、金輪のはまった車の音は、静かな夜明け前の空気を震わせていました。目白坂に車のあと押しをして金をもらっていた
「立坊」 がいたのも有名な話です。このように清戸道は農産物輸送の重要な道路でした。
(練馬区教育委員会)