敷石供養塔は文化4年(1807)、清戸道を利用する大勢の人々が寄進した敷石の完成記念と交通安全を祈願して建立された供養塔です。 むかし、この付近(元宮田橋)は石神井川沿いの湿地で、野菜や肥料などの運搬に難渋していました。彫られた地名には区内はもちろん、埼玉県の村名もみられます。いかに広範囲にわたる地域の人々がここを通行し、この時の敷石完成を喜んだかを窺うことができます。
 庚申塔は正徳5年(1715)上練馬村高松の人々26人によって造立されたものです。主尊は六臂の青面金剛で、力強く天邪鬼を踏まえ、下には 「見ざる・聞かざる・言わざる」 の三猿が彫られています。 庚申信仰は平安時代に中国から渡来したといわれ、江戸時代には富貴長命を願い、庶民の間でも盛んになりました。この塔は区内に現存する130余基の庚申塔の中で一番大きいものです。
(練馬区教育委員会)
 

文化4年(1807)の敷石供養塔

正徳5年(1715)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

敷石供養塔と高松の庚申塔説明