旧清戸道(所沢秩父道)から東高野山長命寺(高野台3丁目)方面へと向かう旧道の分岐点に建立された道標2基です。
向かって左側は、寛政11年(1799)3月に再建された道標で、正面に 「左東高野山道」 と刻まれています。右側は、同年4月に貫井井村の関口藤助延義が発起人となり
「都鄙講中」 により建立された道標です。正面の上部には 「東高野山」、下部には東野孝保の選・書により長命寺および道標の賛語が8字6句の漢文で刻まれています。向かって左側には
「左高野山十八丁」、右側面には 「右所さハちゝぶ道」 と刻まれています。漢文が刻まれる道標は珍しく、文化12年(1815)に村尾正靖(嘉陵)が長命寺を訪れた際に著した紀行文
「谷原村長命寺道くさ」(「嘉陵紀行」 所収) にも記載されています。
いずれも同じ年に東高野山長命寺への行き先を示すために建立された道標です。江戸時代後期における長命寺参詣や交通を考える上でも貴重なものです。
(練馬区教育委員会)
寛政11年(1799)の漢文が刻まれた道標
寛政11年(1799)の道標
東高野山道道標説明
左手筋の入口に建つ2基の道標