大正12年(1923)の馬頭観世音

聖観世音菩薩立像

弘法大師像

文化7年(1810)の子聖観世音碑

不動明王像

六地蔵尊

安永6年(1777)のニ石六地蔵尊

一面六臂の青面金剛の庚申塔

 往古、この寺の住持脚腰に痛みありて武州の子ノ権現に願いをかけ、夢告げにより小槌を発見し、患部を撫で擦りすると快癒せりと、依ってこの功徳を同病の世人に施さんと発願して権現さまを勧請して小祠に営むと伝承される。これが 「貫井の権現さま」 の創め也と。 此れは、之れ仏教(密教)の根本仏・大日如来の分身たる観音さまの化身が子ノ権現、その表徴的なものが小槌なりと思料される。
 仏教には八万四千の法門ありと云われるがつまる所慈悲の教え(人の痛さのわかる心)であり 「自利々他」 の布施行であります。物栄えて心亡ぶと云われている昨今、中庸の心(中道)を根本とした社会構成の一員たらん事を祈るや切なものでもあります。
 人間だけが拝む心を知っている 拝む心に現われるものが真実である

権現小槌の由来

大師堂の弘法大師像

鐘楼

観音堂

 円光院は、南池山貫井寺といい、真言宗豊山派(豊島八十八ヶ所霊場第11番札所)のお寺で本尊は不動明王です。
 昔、寺の南に大きな池があったので 「南池山」 と号し、土地の名が貫井であるので 「貫井寺」 と称したといいます。
 寺の伝えによると天正13年(1585)没した開山・円長法師は密法修行の折、にわかに腰脚痛を患い、あらゆる治療を施したが効果がなく、一念をこめて7日間の断食をして、武川大鱗山の子聖権現を遥拝し平癒を祈願しました。その満願の日の暁、霊夢により宝石を得て患部を撫でさすると、たちまち快癒したので、感極まってここに堂合を建て貫井寺と称し、その近くに子聖大権現を勧請して霊石と共に奉安しました。
 子聖権現は12年に一度、子の年・子の月・子の日にご開帳され、また観音堂に安置された観世音菩薩は子ノ聖観世音と称し、馬の護り本尊として信仰を集め、毎年春に境内で 「馬かけ」 の行事が行われ賑わいました。
 昭和20年5月戦災で本堂などを焼失、昭和38年再建が成り、昭和55年12月、観音堂ならびに境外仏堂(地蔵堂)などが修復再建されました。
(練馬区教育委員会)

ごんげん小槌

山門に掛かる南池山の扁額

円光院山門

円光院由緒

手水舎

円光院貫井寺本堂

本堂に掛かる南池山の扁額