清戸道は、練馬区の東端から西橋まで延長は約15㎞、区のほぼ中央を横断している道路です。この道を東に行くと目白駅を経て江戸川橋に達し、西に行けば、保谷・東久留米を経て清戸(清瀬市)に着きます。大泉から先、清瀬までの道筋は幾通りにも分岐していきます。
練馬の村々から江戸に出るためには、この道を通るのが最も近道でした。江戸時代から練馬のお百姓さんは、朝早く野菜をもって町に向かい、昼頃には下肥を積んで帰ってきました。その下肥を、中農以上の百姓は馬の背で、それ以下の百姓は天秤棒で運びました。このように清戸道は、農産物輸送の重要な道路でした。
明治、大正時代には、大八車が発達し、目白坂には、車の後押しをして金をもらっていた 「立坊」 がいたのも有名な話です。金輪のはまった車の音は、静かな夜明け前の空気を震わせていたことでしょう。
(練馬区教育委員会)
清戸道碑
清戸道説明