古くは、関口村の畑地であった。宝永元年(1704)町屋を設け、元文2年(1737)ころ町奉行支配となった。
町名の由来は明らかでないが、「若葉梢」 には次の記事がある。
駒止橋(現駒塚橋)の項目に、丸太橋であったころ、この上四ツ谷の南土手に馬を多く宿して、駒込の馬市に出していた。目白不動の門前駒井町にも駒店(こまだな)(馬を売る)があった。駒店があり、駒がいるから駒居=駒井の町名が生まれたのであろう。
明治4年新長谷寺門前、大泉寺門前および武家地を合併した。
目白坂上に新長谷寺(目白不動)があった。「時の鐘」 として有名であったが、戦災にあい廃寺となった。
(文京区)
正八幡神社拝殿
拝殿に掛かる正八幡神社の扁額
手水舎
関口町案内
嘉永7年(1854)の手水石