トキワ荘マンガミュージアムとして開設され、外観、間取り、描きかけの原稿など当時の姿を忠実に再現している。
復元されたトキワ荘
トキワ荘標柱
トキワ荘案内板
トキワ荘は、豊島区椎名町5丁目(現在の南長崎3丁目)に昭和27年(1952)から昭和57年(1982)にかけて存在した木造アパートです。上棟式は1952年12月6日。当時の漫画雑誌出版社である「学童社」が、自社の雑誌で連載を持つ漫画家をこのアパートへ入居させ、そうした若手漫画家らが後に著名となったため、漫画家、漫画ファンからは聖地的な扱いをされています。
最初にこのアパートに住んだ漫画家が手塚治虫。次に入居した寺田ヒロオは、手塚の向いの部屋に住みました。寺田は、トキワ荘に次々と入居してくる新入漫画家らと「新漫画党」を結成し、彼らが理想とする漫画を描きました。この新漫画党が活動していた頃には、通ってくる漫画かも多く、トキワ荘は、「漫画家の梁山泊」といわれました。
現在、一流漫画家といわれる人たちが、青春時代、下積みを過ごしたトキワ荘。彼らはこの地で研究と努力を積み重ねて、今日の地位を築いていったのです。このトキワ荘には志を同じくする若者の明るい青春があったのです。
(トキワ荘記念碑設置実行委員会)
トキワ荘のヒーローたち
トキワ荘モニュメント
モニュメント台座のマンガ家似顔絵
トキワ荘記念碑