雑司ヶ谷の鬼子母神は、永禄4年(1561)に清土(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を、天正6年(1578)に現在の場所に堂を建てて安置したことに始まる。寛永2年(1625)には社殿の造営が始まり、正保3年(1646)には宮殿(くうでん)が寄進された。江戸時代前期から将軍の御成りがあるなど、武家から庶民まで、子育て・安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参詣者が訪れている。
 現在の鬼子母神堂は、手前から 「拝殿」・「相の間」・「本殿」 の3つの建物で構成される 「権現造り」。本殿の開堂供養は寛文6年(1666)に行われたことが記録にあるが、屋根裏の束に書かれた墨書から、寛文4年に上棟されたことが判明している。拝殿と相の間は元禄13年(1700)に建てられた。広島藩2代目藩主浅野光晟の正室満姫の寄進により建てられ、その建築には広島から呼び寄せた大工が従事している。そのため、本殿の三方の妻を飾る梁や組物の彫刻には広島地方の寺社に用いられている建築様式が見られる。拝殿は、江戸時代中期の華やかな建物ではあるものの、装飾を簡素なものに変えるなど、幕府による建築制限令への対応をうかがわせる特徴がみられる。
 これらのことから、江戸時代の大名家による寺社造営の実像を示す事例であり、本殿と拝殿とで異なる特徴を持つ建造物であることから、歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され、平成28年7月26日に重要文化財に指定された。
(豊島区教育委員会)

 鬼子母神堂は、江戸時代から子授け、安産の御利益があるとされ、多くの参詣者を集めてきました。江戸後期には、将軍の御成もあったほど大いに繁盛しました。参道には名物の大きなケヤキ並木とたくさんの茶店、料亭などが並び、参詣土産には、現在も造られている 「すすきみみずく」 などが売られていました。かつては大径のケヤキが多く、荘厳な風景をかもし出していましたが、現在は徐々に若いケヤキに植え替えられ、巨木は4本のみです。毎年10月に行われるお会式(おえしき)には万灯行列が周辺を練り歩き、往時のにぎわいを伝えています。
(東京都教育委員会)

境内社の武芳稲荷堂

拝殿に掛かる武芳稲荷尊天の扁額

樹齢600年以上のイチョウの巨木

雑司ヶ谷鬼子母神堂説明

元禄4年(1691)の石燈籠

宝暦6年(1756)の石燈籠

元禄8年(1695)の手水石

元文3年(1738)の石燈籠

拝殿に掛かる鬼子母神の扁額

鬼子母神堂本殿

鬼子母神堂本殿

鬼子母神堂

阿形の仁王像

吽形の仁王像

鬼子母神大門ケヤキ並木説明

鬼子母神大門ケヤキ並木