中世の頃、「宿坂の関」 と呼ばれる場所がこの辺りにありました。天保7年(1836)出版の 「江戸名所図会」 には、金乗院とともに 「宿坂関旧旧址」 が描かれています。金乗院の裏門辺りにわずかな平地があり、立丁場と呼ばれ、昔関所があった跡であるとの伝承が記されています。この坂の名が 「宿坂」 といわれているのは、おそらくこれにちなむものと思われます。
 また、金子直徳著 「若葉の梢」 (寛政10年・1798)によれば、宿坂の関は関東お留の関で、鎌倉街道の道筋にあったといわれています。鎌倉街道は、高田馬場から雑司ヶ谷鬼子母神方面へ抜ける街道で、現在の宿坂道よりやや東寄りに位置していたようです。江戸時代に竹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみ坂と呼ばれ、狐や狸が出て通行人を化かしたという話が今に伝わっています。

坂下から見た宿坂

金乗院山門前の宿坂道説明