吉岡翁碑

文政12年(1829)の 「従是水天宮」 道標

貝化石の石燈籠

水天宮石祠

石祠

文政13年(1830)の手水石

 吉岡家の奥庭(現在地)には、福岡県久留米市瀬下町に祀られ、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、安徳天皇などを祭神とし、水運の守護神であり、安産の神として霊験のある古社の 「水天宮」 が勧請されている。
 旅客を乗せて木下河岸を出た船が、天候異変などでしばしば難船、水死人も出る始末なので、地船、旅客の船頭が問屋の主人などに相談を持ちかけ、木下河岸と特別関係の深かった押砂・潮来・津宮・大船津・息栖・松岸・布川・松戸・小山・源田など諸河岸の関係者の協力を得て文政9年(1826)、小高い清浄な地に水天宮の石宮が勧請された。続いて石宮前の石段や手水石が地船・旅客講中によって神域として整備され、爾来河岸関係者から水運の守護神として深く信仰されることになる。
 地船・旅客の船頭が相談して、水天宮を信仰対象とする常夜燈を問屋帳場前に一基、高札場脇に一基、河岸の乗船場に二基造立し、旅の安全を願っているのも水天宮信仰の一環である。六軒河岸、松崎の三郷の河岸では岡象女神(みずはのめのかみ)を主神として奉斎する 「水天宮」 を祀っているが、木下河岸の水天宮と同類で、河岸の守護神的な意味を持っていた。

水天宮

水天宮由緒

文政10年(1827)の石段