猿田彦命
古結大観先生之塚
「娘小宰相」 と刻まれた平将門の愛妾 「枯硬の前」 の供養塔
十九夜塔
三鈷を載せた供養塔
三体の弘法大師像が祀られた大師堂
安政4年(1857)の普門品供養塔
文久2年(1862)の如意輪観音
明治35年(1902)の子安観音
貝化石の石燈籠
当寺院は山根山正寶院といい、江戸時代から木下の北向き不動尊として広く人々の信仰をあつめてきました。
不動尊像は木彫りで寄木造りの座像です。尊像の高さは60cm 余り、色はやや青みを帯びた黒色で、仏師や作成年月は不詳です。脇侍の矜羯羅(こんから)童子は立像、制托迦(せいたか)童子は座像で、明治22年3月に仏師慶忠によって新
しく作られました。ご縁日は毎月27日で、元日と節分、5月、9月のご縁日には堂内で護摩修行を行い、家内安全、商売繁盛の祈願が行われました。こ の不動尊の霊験は顕かにして特に戦時中の災厄を免れた例など数多くありま
す。
堂宇は明治29年に再建されました。4間四方総瓦葺きの木造で、堂内には阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の各立像、木彫りの青面金剛立像、信者から奉納されたガラス絵や俳諸額、繭額、護摩壇の天井に描かれた龍の絵と飾
りのついた天蓋など珍しい文化財が数多くありました。平成21年5月25日午前零時頃、不審火によってすべて焼失しま した。
境内には10万年前の貝化石の灯籠が2基、3鈷を乗せた墓石の供養塚、講中連や船頭衆 から奉納された石塔類が多く有ります。
なかに 「娘小宰相」 と刻まれた平将門の愛妾 「枯硬の前」 の供養塔がひっそりと建って います。また、境内の一隅には印西大師7番のお堂があり、春の大師参りで賑わいます。
安永4年(1775)の十九夜塔
風化した狛犬
風化した狛犬
在りし日の正寶院本堂
山根山不動尊の由来