湯浅家祭祀碑

地蔵菩薩

地蔵菩薩

嘉永6年(1853)の道祖神石祠

 この石塔は江戸時代、寛政11年(1799)に造立された安山岩製の角柱型の石塔です。正面には浄土宗の祐天上人揮毫と考えられる六字名号 「南無阿弥陀仏」、背面には 「一億供養塔」、側面には 「大もりむらみち」 「ふさむらみち」 の文字が陰刻されており、道標を兼ねていたことが分かります。今は位置が変わっていますが、本来はこの付近にあった鹿嶋道(木下街道)とふさ往還の分岐点に建てられていたものです。造立の際には寄進者が46村1090名以上に及び、白井市内だけではなく、印西・船橋・柏・松戸・我孫子市域からも寄進されています。
 本石塔の建つ位置は江戸幕府によって設置された印西牧の範囲に位置します。本石塔は牧の中の数少ない近世の石造物であり、また、文政8年(1825)に渡辺崋山の著した四州真景図でも紹介されているほか、明治3年(1870)に描かれた市指定文化財 「印西牧場之真景図」 でも描かれた、本市の歴史上重要なものです。なお、一億供養塔の背後にあった一本の桜の木が、十余一字一本桜や、桜台の地名の由来となったと考えられています。 (白井市教育委員会)

ふさむらみち

大もりむらみち

一億供養塔説明

南無阿弥陀仏 ・ 一億供養塔

(左面)

(右面)

(正面)  ・  (裏面)