如意輪観音・地蔵菩薩に囲まれた三界万霊塔

文政12年(1829)の手水石

関ヶ島の別称 「六軒」 が刻まれた安永3年(1774)の宝篋印塔

関ヶ島の宝性院から移された不動明王を祀る不動堂

梵鐘に阿弥陀如来の梵字が刻まれた鐘楼

不動堂に掛かる不動尊の扁額

 天正3年(1575)に建立された真言宗の寺院、毎月28日には不動堂で護摩が行われ、8月28日には縁日が開かれた。
 当山には享保16年(1731)の弘法大師、興教大師像をはじめ密教独特の仏像・仏画・曼荼羅、また中世根来版などの密教聖教、鉄眼版一切教等を所蔵するが度重なる津波等により歴史的資料は乏しい。
 境内の宝篋印塔(安永3年=1774)には関ヶ島の別称 「六軒」 が刻まれている。また 「関ヶ島村十九夜講」 で使われていた鉦(天明元年=1781)が保管されており、この十九夜講との関わりか女性の供養の為に建てられた如意輪観音の石仏が多い。
 昭和31年(1956)には関ヶ島の安性寺を合併。同寺から移された境内の常夜燈(天保2年=1831)および本堂安置の不動明王厨子(天保6年=1835)には、かつて行徳街道にあった旅籠12軒のうちの一つ 「淡雪楼」 の名が見える。なお常夜燈には安政の大地震の様子が記されている。

本堂内陣

徳蔵寺由緒

徳蔵寺本堂

重厚な山門

本堂に掛かる徳蔵寺の扁額