安永5年(1776)11月、当時鎌ヶ谷宿の住人大国屋(福田)文左衛門が、。祖先の冥福を祈るために、江戸神田の鋳物師多川主膳に鋳造させた高さ1.8mの青銅で作られた露座の釈迦如来仏で、通称鎌ヶ谷大仏と呼ばれています。その柔和なまなざしは、永く後世の人々に平和をさとすかのようです。この大仏の開眼にあたっては、上記福田文左衛門宅より大仏墓地に至るまでの約3町(約327m)にわたる道路一面に琉球表を敷き詰め、僧侶50余名を請じて途中は音楽に合わせて練り供養したと言い伝えられています。鎌ヶ谷宿の往時の繁栄を物語る貴重な文化遺産です。(鎌ヶ谷市教育委員会)

地蔵菩薩立像

鎌ヶ谷大仏由緒

鎌ヶ谷大仏

鎌ヶ谷大仏

馬頭観音 ・ 青面金剛王

馬頭観音