清田家は、江戸幕府の馬の牧場を管理する牧士に代々任じられていました。3代目勝定は、馬術に大変優れていました。その噂は将軍にも伝わり、将軍の御前において気性の荒い馬に乗り馬場を3周することを命ぜられました。そして、見事に乗りこなした褒美にとその馬を賜りました。江戸からの帰り道、現市川市北方(ぼっけ)付近でその馬が暴れ、勝定を振り落とそうとしたため、身の危険を感じてやむなく馬を切り、首を持ち帰って、清田家の墓地に祠を建てて冥福を祈ったと伝えられています。
 勝定は、延宝4年(1676)印旛郡草深新田(現印西市)の開発にも携わり、息子に牧士の職を譲った後に、同地へ移住しています。(鎌ヶ谷市教育委員会)

鎌ヶ谷市指定文化財 駒形大明神碑

駒形大明神由緒

駒形大明神

明治25年(1892)の駒形大明神石祠

駒形大明神祠