寛政8年(1796)の青面金剛の庚申塔
清長庵新築記念碑
釈迦如来像
風化の進んだ如意輪観音
寛政4年(1792)・明治37年(1904)・大正5年(1916)などの馬頭観音
大師堂
弘法大師像
正 面 正徳五乙未天 いんざいみち
四月廿四日 かしま道なり
左側面 かまがい道 施主 かねこ
右側面 じんほう道 施主 金子
市川から鎌ヶ谷・白井・印西へと通じる現在の木下街道は、江戸時代には 「かしま道」 とも呼ばれ、重要な交通路でした。
この道標地蔵は、初めに建てられた場所は不明ですが、木下街道から神保(船橋市)へ行く道の分岐点にあったと考えられ、鎌ヶ谷宿を示す道標として、また鎌ヶ谷と近隣との関係を解明する上で貴重な資料といえます。正徳5年(1715)銘は道標として市内最古で、地蔵に道標が刻まれているのは市内唯一のものです。(鎌ヶ谷市教育委員会)
道標地蔵の由来
道標地蔵 (道標を兼ねた地蔵菩薩)
清長庵寺標
清長庵
六地蔵尊