常夜燈

地蔵菩薩立像

藤原観音堂全景

地蔵堂

手水舎

木造観世音菩薩立像

天保4年(1833)の手水石

藤原観音堂

御堂に掛かる身代観世音の扁額

観音堂内陣

 堂内に安置されている木造観世音菩薩立像は、旧藤原新田の観音堂(藤原堂)の本尊です。像高は83㎝、頭部と体幹部を一木で作り、両肩より先の部分と両足、天衣は別材で、製作年代は江戸時代前期と考えられています。
 この像は、江戸時代前期に成立した藤原新田に、行徳の田中三左衛門が中心となって御堂を建て、元禄3年(1690)に行徳の徳願寺から観世音菩薩像(観音像)を請い受けて安置したのが起源といわれています。
 古くから 「身代観世音」 と呼ばれ、諸説はありますが、丹波国穴太寺(京都府亀岡市)の身代観世音と同木同作で、丹波国見樹寺にあったものを招いたという縁起が伝承されています。
 「身代観世音縁起」 によれば、当時、京の都で有名な仏師であった感世は、丹波国の長者の依頼で観世音菩薩像を制作しました。感世がこの像を長者に届けた後、丹波国大江山の周辺で盗賊に襲われ、刀で切られたはずなのに無傷でした。不思議に思った感世が丹波国の長者のもとへ戻ってみると、観音像から血が流れていたことから、感世の身代りとなったことが分かり、篤く信仰されたといわれています。
 藤原堂では当初から秘仏とされ、観世音菩薩は33通りに姿を変えて衆生(いのちあるもの全て)を救うということに由来して、33年に一度、開帳されています。(船橋市教育委員会)

元禄3年(1690)の常夜燈

木造観世音菩薩立像説明