むかし、行徳から市川に向かうには、今日の行徳橋あたりから稲荷木の雙輪寺前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田・大洲・市川南を経て国道14号線(時代によって上総道・佐倉道・千葉街道とも呼ばれた。)に出、市川に至ったものです。
 伝えによると、慶長年間(1596-1615)伊奈備前守忠次が徳川家康の命によって、上総道の改修にあたったさい、新たに八幡と行徳を結ぶ八幡新道をつくって、その分岐点に松を植えたのが、この 「一本松」 の由来ということです。
 この松も京葉道路ができると、排気ガスの影響などによって枯死を早め、昭和48年に伐採されました。(伐採時の樹齢約180年)

右側面に 「是より右やはたみち」 と刻まれている

切株だけになった一本松

正徳3年(1713)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

馬頭観世音菩薩

奉納石燈籠

 この地蔵尊は、享保12年(1712)祖先椎名茂右衛門が、千葉街道(国道14号線)と行徳街道(八幡道)の交わる八幡の四つ角に道標として、又、通行の安全と辻斬り・追い剥ぎ等の災難に遭われた人達の供養のため建立したものである。   昭和6年、国道の拡幅工事のため、心ある地元の方々により、道向こうの南側に移し、爾来人々の所願の守護地蔵として信仰され、今日に至ったが、この度、都営地下鉄十号線の千葉県乗り入れに伴い、駅入り口の予定地となったので、やむなく、奉納者の地元、稲荷木に移転することとなり、此所の 「一本松」 の地に安置するに至ったものである。
 吾在今日無事感謝祖先残後世此由来建立本碑   昭和60年7月15日   稲荷木自治会長 椎名 茂

延命地蔵尊由来碑

享保12年(1727)の延命地蔵尊

延命地蔵尊と一本松

一本松の由来