江戸川が交通の要所として栄えた時代、成田街道へとつづく行徳は、多くの人々が行き交う賑やかな土地であったという。
 しかし、明治に入り総武線が市川・本八幡を通った事により同地区は発展の遅れを余儀なくされていった。
 この経過を熟知していた田中翁は、早くから同地区の開発に想いを寄せ、区画整理事業と地下鉄東西線の早期誘致・駅の開設が絶対条件であると身を挺して奔走、多くの協力者と共に同地区発展の礎を築いた。
 田中翁は、東西線開通の直前に他界するが、地域の先覚者として惜しまfれ地元有志と息子金吾氏によって胸像が建立される。
 併設されている稲荷様には富貴と、長寿を願う 「ぽっくり蛙」 が祭られている。

人生は八十過ぎたら元気で百まで

田中稲荷社

ぽっくり蛙

「先見」 の明を讃え

田中幸之助の胸像