道路元標というのは、大正8年(1919)に告示された道路法施行令により、各市町村に道路の起点や終点および町村の位置を示す指標として設置されたもので、道路の等級や幅員を決めるなど、その後の全国にわたる道路整備の基点になるものでした。
市町村役場の近くおよびメインストリートや交差点付近など多くの人の目につきやすい場所に設置され、その様式として大正11年(1922)の内務省令により、石材その他の耐久性材料を使うことや○○市町村元標と記載する旨が規定されています。
この石造物には 「行徳町道路元標」 と記されており、発見された場所も行徳街道と成田道でもあった寺町通りと交差する場所で、近くに町役場もあったことから、そのことが伺えます。
行徳町道路元標
行徳町道路元標説明
文化3年(1806)の手水石
猿田彦大神
力石
金刀比羅宮 ・ 水神宮 ・ 道祖神宮
稲荷神社
豊受神社本殿
嘉永7年(1854)の阿形の狛犬
豊受神社拝殿
嘉永7年(1854)の吽形の狛犬
拝殿に掛かる豊受太神宮の扁額
本社は、伊勢内宮(三重県)の土砂を遷し、内外両皇大神宮を勧進したことに始まると伝わります。また当初の所在地は、江戸川対岸の中洲(江戸川区篠崎辺り)の地であった可能性もあります。(江戸名所図会)
文化7年(1810)に編纂された 「葛飾誌略」 には 「中洲に在る時は小祠也。寛永12乙亥大社に造立。」 とあり、江戸川の中州に本社が所在していた時代には小さく、寛永12年(1635)に 「大社」 として造立されたことを伝えます。他にもその過程で行徳地区の15か村から寄進があったことや、当地あたりに居住していた徳のある山伏をかつて 「行徳」 と呼び、いつの頃からか地名になったともあります。
現在、この本社を中心に、3年に一度大祭が挙行されています(かつては毎年挙行)。神輿渡御の行事が行われ、大神輿が町内を練り廻ります。勇壮な揉み方に特色があり、その継承も試みられています。また、大祭は5ヶ町祭りと呼び、当地(本行徳)の五つの集落がかかわっています。
祭りの開始については、「元文二丁・巳年享保元申年とも田中三左衛門催しについて、祭礼に始めて屋台を出す。町内もこの時四丁に分る。 新田とも屋台5つ、新宿客祭りとして屋台以上六つ也」 と記され、18世紀前半に祭り屋台が出されたことを伝えます(葛飾誌略)。祭りの開始年次は、はっきりしませんが、18世紀前半に当地(本行徳)が4つに分かれ、新田(現在の本塩)や新宿(現在の下新宿)も屋台を出したようです。 (市川市教育委員会)
豊受神社石鳥居
手水舎
神明(豊受)神社由緒