貨物専用の河岸。
最初の祭礼河岸は寛永8年(1631)頃までに光林寺の南、稲荷神社の西にあたる押切十三番、十四番付近に設置されたと推定されます。元禄3年(1690)この付近に移設されました。
銚子などからの魚、スイカ、ウリ、前栽、大根、薪、塩、米その他の産物が馬で運ばれてきて積み出されました。
昭和の初め(1926~)頃でも荷足船が20~30艘ほどが入れる広さで、葛西船により下肥が運ばれてきて小型の肥やし船に移して内匠堀に入り水田へ運ばれました。
湊水神宮
行徳河岸(祭礼河岸)旧跡説明
当祭礼は、古くから地元漁師の人々に豊漁、海難除けの守り神として崇められていたと伝えられています。
また、江戸川は生活水路でもあったので、船の安全運行、川遊びに興じる子供達の水難除けと水泳上達を祈願して、毎年6月末日の夜にお参りをしていたそうです。それがいつ頃からか定かではありませんが、祭礼の形態として年々盛大になり、地域の人々に親しまれてきました。
現在は、川が汚れ生活水路としての意味合いがなくなりましたが、水神宮はその後も水難除け、水泳上達、交通安全、受験生の合格祈願の神として崇められ、祭礼当日には数千名の参拝者があります。
祭礼当日は、多くの露天商が出店し、祭り情緒を盛り上げます。夕方五時頃から徐々に参拝者が増えてゆき、ピークは六時半頃から八時半頃までで、神社付近は身動きできないほどの人出になります。
自治会、育成会、青年会、婦人会、南行徳交通安全教会、自治会組長が総力をあげて祭礼行事の進行と事故防止に力を合わせ楽しいお祭りにしています。これからも地域の人々が楽しめる伝統ある祭礼として、存続させていきたいと考えております。
なお、平成16年より祭礼運営上の関係から祭礼日を6月の最終土曜日としました。
湊水神宮由緒
水神宮拝殿
石鳥居
鳥居に掛かる水神宮の扁額