無縁塔

【由来・いわれ】
 天正12年(1584年)日蓮宗中山法華経寺歴世である日通上人の弟子、寂静院日圓上人の御開創である。
 明治14年(1881年)行徳町の大火事により本堂・庫裏が消失し、現在の山門のみ残った。
 現在の本堂は昭和55年に建立されたものである。

【歳時・みどころ】
 本堂正面入口上にある金文字の海近山の山号額は、幕末の三筆といわれた江戸末期の書家 [市河]米庵の筆」 によるものである。
 無縁塔横に安置されている板碑は石造の塔婆の一種で、鎌倉・室町時代に多く造られたものである。
 春に先がけて咲く本堂前の [しだれ桜] は身延山久遠時より株分けされたものであり、盛観である。

安永7年(1778)の南無妙法蓮華経題目碑

鎌倉・室町時代の板碑

圓頓寺由緒

明治14年の大火から免れた山門

圓頓寺本堂

本堂に掛かる市河米庵揮毫の海近山の扁額