狛犬一対
常夜燈
上板橋消防組第二部記念碑
天祖神社社標
榛名神社
御神輿庫
水神社
左から伊勢神社・月読神社・日枝神社・北野神社・稲荷神社
空襲による爆弾片の円形傷跡がある弘化3年(1846)の狛犬
拝殿に掛かる天祖神社の扁額
神楽殿
当社の創建は不詳であるが、当社は近一帯が豊島氏によって開拓されたことを考えると室町時代には神社の形態をなしていたと思われる。江戸時代には神明社と称し、旧上板橋村の鎮守となっている。
境内にある狛犬や絵馬などの奉納者に川越街道上板橋宿の住人の名が見え、宿場と深い結びつきがあった。
寛政9年(1793)、蜀山人が当社を訪れた時の記録が残っているが、それによると、「神明宮ありて古老松杉枝を交えて大なる柊もあり宮居のさまもわら葺きにて黒木の鳥居も神さびたり・・・」 と書き記している。
明治5年村社天祖神社と改称し今日にいたっている。境内にある弘化3年の狛犬に、円形のきずがあるが、これは昭和20年6月10日の空襲による爆弾の半片の跡。6月10日の空襲を伝える数少ない遺構の一つである。
板橋区教育委員会
参集殿
弘化3年(1846)の手水鉢
天祖神社拝殿
天祖神社案内板