烏頭坂案内板

熊野神社参道入口

旧川越街道を岸町から新宿町二丁目・富士見町へ上がる坂道で、往時は杉並木があり、鬱蒼としていた。
 新河岸川舟運が盛んな頃は、荷揚げされた荷物を市内の問屋街に運ぶときに必ず通らなければならず、難所として知られていた。川越の地名として古くからあり、文明18年(1486)頃、この地方を遊歴した道興准后(どうこうじゅんこう)の 「廻國雑記」 に、「うとふ坂こえて苦しき行末を やすかたとなく烏の音もなか」 という歌がある。
 川越市教育員会

烏頭坂碑