この旧道は、江戸時代から明治初年にかけ川越と江戸を結ぶ主要な街道で川越道又は脇往還とも呼ばれていた。弥生町一帯は、当時伝馬役を負担していたため上板橋宿といい、宿内は三宿に分れていた。
伝馬とは街道の貨客を運ぶ際、宿から人夫や馬を提供するもので、江戸から上板橋また次の宿下練馬村までが上板橋宿の負担であった。
境内のイチョウ
豊敬稲荷神社拝殿
拝殿に掛かる豊敬稲荷神社の扁額
豊敬稲荷神社鳥居
金網に覆われた昭和37年(1962)の狛狐
豊敬稲荷神社玉垣建設記念碑
手水石
神庫
上板橋宿概要図