種子(梵字)が刻まれた板石塔婆
安永6年(1777)の大乗妙典六十六部供養塔
宝暦8年(1758)の地蔵菩薩
弘安4年(1281)の板石塔婆
地蔵菩薩半跏像
水子地蔵尊
明和4年(1767)の地蔵菩薩
御堂に掛かる薬師堂の扁額
御堂に祀られた薬師如来坐像と眷属(従者)の十二神将
薬師堂
本尊阿弥陀三尊を祀る本堂内陣
本堂に掛かる徳性寺の扁額
徳性寺本堂
天台宗天龍山本乗院徳性寺は、川越市古谷の灌頂院の末寺で、伝承によれば、今から450年前程前の室町時代、秀山律師により開かれたという。一時、寺勢が衰えたものの、江戸時代前期、第14世祐円和尚(万治3年・1660年没)により中興された。明治14年(1881)1月16日の大井町の大火により本堂・庫裡などの建造物と共に当時の歴史を記した記録も失われてしまった。
現在の本堂は昭和48年(1973)に、庫裡は昭和55年(1980)に再建されたものである。
本尊は、室町時代のものと考えられる阿弥陀三尊像である。本堂には江戸時代初期に大井を領地とした旗本の米津彦七郎の位牌(天和2年・1682年没)が祀られている。また本堂裏手の墓地には歴代住職の墓塔のほか、元和9年(1623)銘の五輪塔があり、寺の歴史の古さを今に伝えている。
山門は、大火の後の明治25年(1892)に移築されたもので、川越の南院(廃寺)のものとも川越城の遺構であるとも言われている。この山門脇には、坂上(小字東台)近くの石塔畑と呼ばれる場所から出土した弘安4年(1281)の銘記を持つ板石塔婆を始めとする20数基の板石塔婆や大井宿の南木戸(江戸側)に立っていたとされる石の地蔵など大井の歴史を物語る多くの石造物を見ることができる。
また、当寺では、近年まで遺骸を埋葬する場所(埋め墓)と墓塔を建てる場所(詣り墓)とが異なる両墓制を見ることができた。
ふじみ野市教育委員会
徳性寺案内板
徳性寺山門
六地蔵尊