南栄八幡神社は、昭和35年3月15日鎌倉鶴ヶ岡八幡宮から分神として賜り、お祀りした神社です。
当地付近は、昔から膝折村上ノ原と称して溝沼、岡、台、根岸の飛地であり地番も判らず連絡に大変支障が多く、住民の声で昭和初期に現在の中央公園入口交差点から東方和光市との境界土橋までを南栄と通称名を付け便を計りました。
昭和42年3月朝霞市制施行の際、町名変更が行われ、当地も栄町と改め今に至っています。この地域は太平洋戦争当時、被服敞(軍被服工場)陸軍予科士官学校の施設があり、戦後その施設に米軍が進駐し基地の町と化し、風紀は乱れ治安も悪くなりました。そんな様子を憂えた町内有志は良識ある安住の地となることを念じ、神社建立の運びとなりました。南栄八幡神社は、当時の地名を反映し健全な町作りを目指す町内有志の意思を残すものとして大変意義のある神社です。

鳥居に掛かる南栄八幡神社の扁額

南栄八幡神社拝殿

南栄八幡神社鳥居

南栄八幡神社本殿

南栄八幡神社由来碑