板橋宿の平尾(板橋三丁目)で中山道と別れた江戸時代の川越街道は、上板橋宿、下練馬宿を経て、白子宿へ向かいます。
 八坂神社右手の道が当時の川越街道で、この付近は白子川へ下りるための大きく曲がった急坂(新田坂という)になっていました。
 新田坂から白子川の間は、新田宿と呼ばれた集落で、対岸の白子宿から続いて街道沿いに発達していました。昭和初期には、小間物屋や魚屋、造り酒屋などが軒を連ねていました。
 八坂神社は、京都の八坂神社を勧請したといわれ、「天王さま」 とも呼ばれています。御祭神は、素戔嗚尊と稲田比売命です。元々は現在地よりやや南側にありましたが、昭和8年(1933)の川越街道新道(国道254号線)工事の際に移されました。
 板橋区教育委員会

八坂神社の神明系鳥居

拝殿内の八坂神社本殿

八坂神社拝殿

手水舎

新田坂と八坂神社の案内板