稲荷社の石祠
男女双体道祖神
文政13年(1830)の常夜燈
「大山 石尊大権現 大天狗 小天狗」 と刻まれている。
新田坂の石造物群案内板
地蔵祠
子育地蔵尊
この案内板の前の坂道は、江戸時代の川越街道です。板橋宿の平尾(板橋三丁目)で中山道と分かれた川越街道は、上板橋や下練馬の宿を経て川越城下へ通じていました。街道はこの附近で白子川の作る谷へ下りるために急坂となり、新田坂と呼ばれていました。
ここに保存されている石造物四基は、新田坂周辺から集められたものです。
道祖神は、区内唯一のもので、文久3年(1862)に建立されました。もともとは、八坂神社の入口付近にありました。
常夜燈は、文政13年(1830)に建立されたもので、成増二丁目34番の角に建っていたようです。 「大山」 と刻まれていることから道標も兼ねていたのでしょう。川越街道と分れて南へ向かう道は、土支田方面へ通じていました。
稲荷の石祠と丸彫りの地蔵は造立年代は不明ですが、どちらも大切に保存されています。
昭和59年度、四基の石造物は区の有形文化財に登録されました。 板橋区教育委員会
文久3年(1862)の道祖神
子育地蔵尊標柱
新田坂道祖神等石造物記念碑