中島飛行場武蔵製作所工場引き込み線橋台跡

 現在の都立武蔵野中央公園から市役所あたりまでは、かつて戦前の日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機株式会社武蔵製作所という軍需工場がありました。
 工場は、昭和13年(1938)から昭和20年(1945)まで稼働し、零戦や隼などの軍用機のエンジンを生産していました。この工場への物資輸送のため、武蔵境駅から工場まで引き込み線が施設されました。戦争末期、工場はアメリカ軍による激しい空襲を受けましたが、その際、この引き込み線や隣接する境浄水場も被弾しました。
 戦後、昭和26年(1951)、工場跡の一角に 「東京スタジアムグリーンパーク野球場」 が開設され、プロ野球観戦などの観客輸送のため、引き込み線は敷き直され、三鷹駅から国鉄 「武蔵野競技場線」 として生まれ変わりました。しかし、間もなく野球場は閉鎖され、引き込み線も昭和34年(1959)に廃止となりました。
 その後、玉川上水から北側は、「グリーンパーク遊歩道」 として、また南側は 「堀合遊歩道」 として生まれ変わりましたが、この場所には、コンクリート製の橋台だけが残されました。平成24年(2012)、都道の建設に伴い、橋台の上に 「ぎんなん橋」 が設置されました。
 この橋台跡は、工場への引き込み線の遺構で唯一残った戦争遺産です。

いちょう橋北詰で境浄水場が終わっている

上水堀がやや深くなり、灌木で覆われている

いちょう橋に隣接する人道橋の 「ぎんなん橋」

ぎんなん橋橋標

いちょう橋上流域

ぎんなん橋下流域

いちょう橋橋標