昭和62年(1987)頃の境水衛所

 水衛所とは、江戸市中への水を確保するため、水番人と呼ばれる人が常駐していた場所です。水番人は、玉川上水に流れる水量の確認や周辺の巡回、流れてくる落ち葉の掃除などを行っていました。水衛所は、江戸時代には奉行の支配下に置かれ、「水番所」 と呼ばれていました。
 境水衛所は、明治維新後、東京市水道部(現在の東京都水道局)が管理することとなったことから、明治27年(1894)に水番所を水衛所と名前を変え、引き続き職員(水衛)が常駐し、玉川上水の点検や清掃などを行ってきました。
 その後、淀橋浄水場の廃止に伴い玉川上水への通水を停止したことから、境水衛所は昭和55年(1980)3月に廃止されました。水道局では、史跡である玉川上水をより身近に感じていただくため、水衛所跡地を散策路として、平成24年度に整備しました。

 玉川上水は、羽村取水口から四谷大木戸までの約43kmにわたる水路で、承応3年(1654)に完成しました。これにより、多摩川の水が江戸市中の広い範囲に供給されることとなり、江戸が大きく発展することができました。
 その後、明治31年(1898)に完成した淀橋浄水場(新宿)への水路として、昭和40年(1965)に同浄水場が廃止されるまで、利用されていました。
 現在も羽村取水口から小平監視所までは、現役の水道用の水路として、都民の生活を支えています。
 玉川上水は、約43㎞の区間を約92mの標高差を利用して、水を流すように設計された長大な土木施設・遺構です。
 特に、小平監視所から浅間橋までの中流部には、開削当時の素掘りの水路・法面が多く残され、往時の姿を今に伝えています。
 玉川上水は、近世の水利技術を知る上で重要な土木施設・遺構であることから、平成15年(2003)8月、開渠区間約30kmが国の史跡に指定されました。

鉄柵下流左(北側)にある千川上水分水口

鉄柵下流の玉川上水

枯れ枝・落葉・ゴミ除去の鉄柵

境水衛所について

国指定史跡 玉川上水