元文2年(1737)頃、桜が植えられた玉川上水堤は、しだいに桜の名所として賑わいを増してきました。しかし、百年余が経ち老木化が進んだので、嘉永3年(1850)、代官大熊善太郎は、田無村・境新田・梶野新田・下小金井新田・鈴木新田に、互いに協力して植樹するよう命じました。村々では、桜の苗木を持ち寄り、それぞれの持ち場に数百本を植え足しました。
 この石碑は、嘉永4年(1851)3月、田無村の名主下田半兵衛が植樹の経緯を後の世に伝えると共に、桜樹が永久に植え継がれ、保護されることを願って建てたものです。石碑の表に 「さくら折るべからず」 槐字道人(下田半兵衛)、裏面に無量老人(賀陽玄節)撰の 「桜樹接種の記」 がきざまれています。
   小金井市教育委員会

「桜樹接種碑」 解説

上水堀法面の切株から延びるケヤキの細木

「さくら折るべからず」 と刻まれた桜樹接種碑