江戸時代前期の承応3年(1654)、江戸の水道である玉川上水が完成した後、武蔵野の原野の開発が急速に進み、享保年間(18世期前半)頃に、82ヵ村の新田村が誕生しました。
この新田開発には、玉川上水からの分水が大きな役割を果たしました。この時、上水北側の関野新田に南武蔵野の開発を推進した幕府の陣屋(役宅)が置かれ、「武蔵野新田世話役」
に登用された川崎平右衛門定孝の手代(下役)高木三郎兵衛が常駐していました。
この陣屋から南に真っ直ぐ小金井村方面に通じる道が 「陣屋道」、玉川上水に架かる橋が 「陣屋橋」 です。今の橋は、昭和48年に新設されたものですが、もとの陣屋橋は、ここから数十メートル下流にありました。
また、玉川上水両岸の小金井桜は、新田開発が行われた元文2年(1737)頃、幕府の命によって川崎平右衛門等が植えたものです。
陣屋橋下流域
陣屋橋上流域
灌木の葉が無いので、上流まで上水堀が見える
上流同様に灌木の葉が無いので、下流まで上水堀が見えている
玉川上水緑道上流方向
陣屋橋解説
玉川上水緑道下流方向
陣屋橋(じんやばし)橋標