この坂を下りる途中の左側あたりに薬師堂がありました。そのためこの坂は堂坂と呼ばれたようです。承応2年(1653)に玉川上水の工事が始まると、その敷地にあったために、薬師堂は上の台地に移されました。現在、薬師堂は川崎の宗禅寺の境内に修築されて、多くの人々に信仰されています。
この堂坂は急な坂でしたが、多摩川の渡しと結ばれた重要な道でした。堂坂を上って北の方、武蔵野を通って箱根ヶ崎(瑞穂町)や残堀(武蔵村山市)、扇町屋(埼玉県入間市)などへ道が通じていました。現在堂坂の上の所で奥多摩街道とT字路になって、北の方へ延びている道が、その道の名残だと言われています。
羽村市教育委員会
桜並木と170~80㎝の高いフェンス
「堂坂」 解説
清流を泳ぐ鯉の群れ
堂橋上流域
堂橋下流域
右岸段上に奥多摩街道が通っており、堂橋から奥多摩街道までの坂道は堂坂と呼ばれた
桜並木が続き、緩やかに左に曲がっている
堂橋(どうばし)橋標