元文2年(1737)、徳川八代将軍吉宗公時代に、玉川上水の両岸に奈良県の吉野山や茨城県の櫻川から多品種のヤマザクラの移植が開始され、関東一の桜の名所として賑わった。
 ヤマザクラは、その後も植え継がれ、大正13年(1924)、現在地の小川水衛所跡から境橋までの約6kmにわたるサクラ並木が、国の名勝に指定された。 
 これは、その起点を示す境界石である。

 玉川上水は、羽村取水口から四谷大木戸までの約43kmにわたる水路で、承応3年(1654)に完成しました。これにより、多摩川の水が江戸市中の広い範囲に供給されることとなり、江戸が大きく発展することができました。
 その後、明治31年(1898)に完成した淀橋浄水場(新宿)への水路として、昭和40年(1965)に同浄水場が廃止されるまで、利用されていました。
 現在も羽村取水口から小平監視所までは、現役の水道用の水路として、都民の生活を支えています。
 玉川上水は、約43㎞の区間を約92mの標高差を利用して、水を流すように設計された長大な土木施設・遺構です。
 特に、小平監視所から浅間橋までの中流部には、開削当時の素掘りの水路・法面が多く残され、往時の姿を今に伝えています。
 玉川上水は、近世の水利技術を知る上で重要な土木施設・遺構であることから、平成15年(2003)8月、開渠区間約30kmが国の史跡に指定されました。

 水衛所とは、江戸市中への水を確保するため、水番人と呼ばれる人が常駐していた場所です。水番人は、玉川上水に流れる水量の確認や周辺の巡回、流れてくる落ち葉の掃除などを行っていました。水衛所は、江戸時代には奉行の支配下に置かれ、「水番所」と呼ばれていました。
 小川水衛所は、明治維新後、東京市水道部(現在の東京都水道局)が管理することとなったことから、明治27年(1894)に水番所を水衛所と名前を変え、引き続き職員(水衛)が常駐し、玉川上水の点検や清掃などを行ってきました。
 その後、淀橋浄水場の廃止に伴い玉川上水への通水を停止したことから、小川水衛所は昭和55年(1980)3月に廃止されました。水道局では、史跡である玉川上水をより身近に感じていただくため、水衛所跡地を散策路として、平成24年度に整備しました。

小川水衛所跡について

名勝境界石

国指定史跡玉川上水

水衛所跡上流域

水衛所をイメージした東屋

水衛所跡下流域

取り除かれた流木が両岸に置かれている

両岸壁は石積みで護岸されている