玉川上水開渠の由来を記した記念碑で、高さ460㎝、幅230㎝。上部の篆(てん)字は徳川家達、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に780字、裏面に130字が陰刻されている。
碑の表面には明治18年の年紀が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治28年(1895)に完成したものである。
東京都水道局新宿営業の前身は、玉川上水水番所であった。
玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
定
一、此上水道において魚を取水をあび
ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷
並両側三間通に在来候並木下草
其外草刈取申間敷候事
右之通相背輩あらば可為曲事者也
元文四巳未年十二月 奉行
東京都水道局新宿営業所内にある大きな古地図の一部
水道碑記
四谷大木戸跡碑
四谷大木戸碑は、昭和34年11月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。
実際の大木戸の位置は、ここより約80m東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。