佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲でした。江戸時代初期、初代将軍徳川家康の招きによって摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃)から下ってきた漁師たちは、鉄砲洲東の干潟百間四方を埋め立てて佃島を築きました。そしてこの島と対岸の船松町(現在の佃大橋西詰付近)との間に通された渡船が佃の渡しです。佃の渡しは、佃島住民だけでなく、住吉神社への参詣や花見見物などの人々に利用されました。
明治時代には渡し賃が一人5厘であったことから、「5厘の渡し」 と呼ばれました。大正15年(1926)に渡船の運営が東京市に移ってからは定期的に運行されるようになり、昭和2年(1927)以降は有料の手漕ぎ渡船から無料の曳船渡船となりました。同年、渡船場の諸施設が整ったことを記念して、佃一丁目と湊三丁目にそれぞれ石碑が建てられました。
昭和31年(1956)には一日平均60往復、1万6千人もの利用者がありましたが、昭和39年(1964)8月に佃大橋が完成したため、佃島の渡船は廃止されました。
佃島渡船場跡は、渡船の歴史を記念する区民史跡として、中央区民文化財に登録されています。
平成28年3月 中央区教育委員会
佃島渡船場跡解説
西詰(右岸)にある佃島渡船碑
東詰(左岸)にある佃島渡船碑
住吉神社は、江戸初期に摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保3年(1645)に現在地に創建された佃島の鎮守です。 当社は、創建以来、佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から厚い信仰を受けて賑わいました。鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治15年(1882)6月に制作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁親王です。
下流左岸の隅田川テラスから見た対岸の聖路加ガーデンビル
鳥居に掛かる住吉神社の扁額
住吉神社鳥居
住吉神社拝殿
下流の勝鬨橋近くから見た佃大橋
下流左岸から見た佃大橋
佃大橋(つくだおおはし)橋標
佃大橋下流域
佃大橋上流域
上流に中央大橋が見えている
下流に勝鬨橋が見えている