石神井川に架けられる 「大橋」 は、江戸時代後期には存在しており、埼玉道から現在の新桜台駅辺りで分岐して北西に伸び、ふじ大山道へ至る旧道(田中道)が通っていました。
向かって中央の不動明王坐像は、文政4年(1821)2月28日に旧下練馬村早淵(現在の早宮2丁目および早宮1・3・4丁目の一部)の念仏講中が建立したものです。正面には 「不動明王を造立し奉り村人の安全を祈る所」 と刻まれています。
向かって右側の敷石供養塔は、寛政4年(1792)閏2月11日に八日講中によって建立されたもので、その後享和3年(1803)2月に宮ヶ谷戸(現在の早宮3・4丁目の一部および練馬3・4丁目の一部)の玄覚という人が金3両1分を寄進したことも刻まれています。正面には上部に不動明王を表す梵字
「カーンマン」 の一字が刻まれ、その下に 「建立し奉る鋪石供養塔」 と刻まれています。
言い伝えによれば、相模の大山(神奈川県伊勢原市)へ詣でる人がここで禊を行ったといいます。かつて早淵や宮ヶ谷戸の人々が、「大橋」 のたもとで交通の安全を祈願し、道や橋に敷石を行って整備していたことがわかります。
(練馬区教育委員会)
大橋下流域
下流は更に東に曲がっており、新大橋は見えない
大橋上流域
上流の糀谷橋が小さく見えている
大橋橋標(親柱)
不動明王坐像と敷石供養塔説明
西詰に建つ不動明王坐像
地蔵菩薩と手前に見える石橋供養塔
おおはし橋標(親柱)
下流右岸から見た大橋
東詰めから見た大橋