音無川のこのあたりは、古くから名所として知られていました。江戸時代の天保7年(1837)に完成した 「江戸名所図会」 や、嘉永5年(1852)の近吾堂板江戸切絵図」、また、安藤広重による錦絵など多くの資料に弁天の滝、不動の滝、石堰から落ちる王子の大滝などが見られ、広く親しまれていたことがわかります。
「江戸名所花暦」 「遊暦雑記」 などには、一歩ごとに眺めが変わり、投網や釣りも出来れば泳ぐことも出来る。夕焼けがひと際見事で川の水でたてた茶は美味しいと書かれており、江戸幕府による地誌
「新編武蔵風土記稿」 には、この辺りの高台からの眺めについて、飛鳥山が手に取るように見え、眼の下には音無川が勢いよく流れ、石堰にあたる水の音が響き、谷間の樹木は見事で、実に優れていると記されています。
こうした恵まれた自然条件を今に再現し、後世に伝えることを願って、昭和63年、北区は、この音無親水公園を整備しました。
(東京都北区)
音無親水公園に架かる舟串橋(ふなくしはし)
音無親水公園説明
旧流路に設置された水車
音無橋の名の由来は、架橋されている石神井川に求められる。
多摩地方から東流し、北区において隅田川と合流するが、王子権現付近より以東の路線はかつて滝野川あるいは、音無川と呼ばれていた。
音無川の名は、紀州熊雄権現本宮の近くにある音無川に因んだものである。
本橋は、昭和5年の架橋以来、周辺の交通の便を確保するとともに、地域の発展の要として機能している。
音無橋由緒碑
西詰から見た音無橋
下流側から見上げた音無橋
上流側から見上げた音無橋
音無橋橋標(親柱)