石神井川は、東京都小平市花小金井南町付近を源とし、北区内で隅田川に合流するまでの延長25.2㎞の河川です。
一般には、石神井川の水源としては、石神井公園内の三宝寺が池が有名ですが、周辺の市街地化により湧水が減少したため水量は、一般家庭からの排水も少なくありません。
石神井川は大部分が台地上を流れているため、ゆるやかな流れの区間が多いのですが、板橋区加賀から下流になると渓谷状となり、水流もかなり急になります。そのため、昔はこの一帯の石神井川は滝野川とその名を変えて呼ばれ、飛鳥山のあたりでは、この地を愛した徳川吉宗のふるさとにちなみ、音無川とさらに名を変えて呼ばれていました。
ごうごうと音をたて、流れる川を音無川と呼んだところに、この地と将軍吉宗との深い関係が読み取れます。
吉宗は 「春は桜、秋は紅葉」 の例えにならい、飛鳥山に桜を植えさせる一方で、石神井川の両岸に紅葉を植えさせました。
文化文政の頃には、滝野川の紅葉は江戸中に知られ、江戸名所図会にも 「楓樹の名所として其の名遠近に高し」 と述べられています。
この紅葉は維新の頃、薪にして売られるところでしたが、羽島了甫という人がたまたま来あわせ、これを惜しんで残らず買い取り、そのまま保存することになり、明治大正にかけても滝野川の地は東京市民の遊覧の地として賑わいました。
現在でも、この音無さくら緑地では、当時の音無渓谷の姿をかいま見ることができます。
この場所に緑の吊橋が初めて架けられたのは、昭和29年のことでした。その後台風により崩壊し、昭和55年に椎橋に変わりましたが、平成6年には緑地と調和した、現在の吊橋となりました。
音無渓谷説明碑
旧流路に架かる吊橋
旧流路に架かる吊橋
石神井川は、昔から両岸に樹木がうっそうと茂り、深山幽谷の趣きがあったが、昭和40年頃からの改修工事によって、美しい自然が次々と消えていくのを惜しみ、堤岸の自治会、商店街の各代表、神社仏閣の当主が昭和49年に
「石神井川の自然を守る会」 を設立、東京都、北区など関係当局に衷情を訴え、ここに旧川を利用して昔の面影の一部をとどめることに成功した。
よって記念碑をつくり、これを末代に伝えるものである。
(石神井川の自然を守る会)
記念碑
下流右岸の旧流路の音無さくら緑地
紅葉橋上流域
両岸に桜並木の遊歩道があり、上流は西に曲がっている
紅葉橋橋標(親柱)
紅葉橋下流域
両岸に桜並木の遊歩道があり、下流は東に曲がっている
もみじばし橋標(親柱)
南詰から見た紅葉橋
下流右岸から見た紅葉橋