氷川神社由緒

 御祭神素戔男命、稲田姫命。
 創建は第83代土御門天王の元久3年(1206)頃、この辺りの領主豊島左衛門尉経泰が武蔵国一の宮氷川神社(現大宮市)から御分霊を、石神井川畔の景勝の地である当地勧請したのに始まると伝えられている。
 江戸時代は板橋宿の鎮守として広く信仰を集め、今日に至っている。
 当社は明治22年に火災に遭い、文書や社宝等を消失した。社殿は翌年再建されたが、昭和20年4月13日の空襲により再び消失した。戦後昭和29年に御造営奉賛会が結成され、昭和32年に現在の社殿が竣功した。
(板橋区教育委員会)

小御嶽石尊大権現

神楽殿

浅間神社が建ち並ぶ富士塚

一面六臂の青面金剛の庚申塔

氷川神社社標・石鳥居

手水舎

氷川神社拝殿

新板橋下流域

両岸の桜並木が張り出し、下流の板橋は見えない

新板橋橋標(親柱)

新板橋上流域

上流は南西に曲がり、上流の愛染橋が見えている

しんいたばし橋標(親柱)

下流右岸から見た新板橋

上流側の南詰から見た新板橋