地蔵菩薩立像

昭和4年(1929)の下頭六蔵菩薩之塔

下頭橋旧親柱

下頭六蔵菩薩

(地蔵菩薩坐像)

寛政10年(1798)の他力善根供養碑

下頭六蔵祠

 弥生町には江戸時代の川越往還が通っています。そのうち、大山町の境から当地までの街道沿いは上板橋宿となっていました。石神井川に架かる下頭橋は、寛政10年(1798)に近隣の村々の協力を得ることで石橋に架け替えられています。境内にある 「他力善根供養」 の石碑はその時に建てられたものです。
 橋の名の由来については諸説があります。一つ目は、旅僧が地面に突き刺した榎の杖が、やがて芽吹き大木に成長したという 「逆榎」 がこの地にあったという説。二つ目は、川越往還を利用する川越藩主が江戸に出府の際に、江戸屋敷の家臣がここまで来て出迎え頭を下げたからという説。三つ目は、榎のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋が架け替えられたからという説の三つが伝わっています。
 ここにある六蔵祠は六蔵の遺徳を讃えて建てられたものです。下頭橋と六蔵祠は昭和61年度に区記念物(史跡)に登録されました。
(板橋区教育委員会)

下頭橋由緒

下頭橋橋標(親柱)

下頭橋下流域

下流の間々下橋が見えている

下頭橋上流域

上流の宿橋が見えている

西詰から見た下頭橋

下流右岸から見た下頭橋

げとうばし橋標(親柱)