聖堂の西比井名水にてお茶の水にもめしあげられたり
神田川掘割の時ふちになりて水際に形残る 享保十四年 江戸川拡張の後川幅を広げられし時 川の中になりて 今その形もなし
(再校 江戸砂子 より)


慶長の昔、この邊り神田山の麓に高林寺という禅寺があった。ある時 寺の庭より良い水がわき出るので 将軍秀忠公に差し上げたところ お茶に用いられて 大変良い水だとお褒めの言葉を戴いた。それから毎日この水を差し上げる様になり この寺を お茶の水高林寺と呼ばれ、この辺りをお茶の水と云うようになった。
 其の後、茗渓又小赤壁と稱して文人墨客が風流を楽しむ景勝の地となった。時代の変遷と共に失われ行くその風景を惜しみ心ある人たちがこの碑を建てた。

お茶の水由来碑

水鉢

お茶の水碑

お茶の水橋下流域

お茶の水橋上流域

下流に聖橋が見えている

お茶の水橋(おちゃのみずはし)橋標