フォリアージュビルの前の同人社跡解説

新白鳥橋の上流側に歩道がある

中村正直が明治6年、邸内に私塾「同人社」を開いた。この洋学塾は慶應義塾(福沢諭吉)、政玉社(近藤真琴)の三大私塾の一つで全国から多くの人材が集まった。
正直は天保3年江戸に生まれ、昌平坂学問所に学び、学問所教授方になりイギリスに渡る。明治元年帰国「スマイルズ」の自助論を訳し「西国立志篇」を著し、青年層に大きな影響を与えた。明治5年大蔵省に入り、明治6年同人社設立、明六社にも参加し、啓蒙思想に力を尽くした。
東京女子師範学校長、東大教授、元老院議官、貴族院議員など歴任した。教えを受けた人は多く、岡倉天心、嘉納治五郎、井上哲次郎等各分野にわたり、著書も多く「江戸川の聖人」といわれた。

橋の正面右手がフォリアージュビル

新白鳥橋下流域

新白鳥橋上流域

下流で右カーブし、首都高速5号線も神田川に沿ってカーブしている

新白鳥橋(しんしらとりばし)橋標

中之橋の右手にトッパン小石川ビルが見えている